# 008

» ネギらーめんか、角煮らーめんか。それが問題です。僕は券売機の前で立ち尽くします。セオリー通りならこの店ではもちろんネギらーめんで、オプションとしてギョーザをつけたりなんかするのがベストなのでしよう。ですが、最初からネギらーめん一択でそのほかに可能性のあることを無視するということは、僕とらーめん屋の関係をただのネギらーめん授受システムと見做すことであり、それでは僕という客、店というもてなし役、らーめんという贈り物、それらの心暖まる人間的な意味を切り捨てることにほかなりません。ゆえに僕はらーめんの選択をそのつどそのつど熟慮し、つねに選ばなかった可能性を心づける必要があり、それを実証づけるためにはたまには間違って見せる必要があると思うのです。

» そこで僕は角煮らーめんのボタンへ手を延ばし、そして固まります。僕はもうほとんどやわらかな角煮を口にほおばる感覚を思い浮かべて唾きをためています。しかし、ここで安易に角煮らーめんを選ぶことは一種のこの店への裏切りになるのではないでしょうか。さきほど僕は自分と店との関係を、暖かで人間的な共同体のひとつだと見做しましたが、これはとてもつかみどころのない曖昧なものです。僕、店そしてらーめんの関係はどこまでいっても授受システムにしか過ぎないのであり、そこにそれ以上の意味を見いだすのはむしろ高度に確立されたシステムに対する、傲慢な考え方ではないでしょうか。僕はこの店でネギらーめんを食べるのであり、それが決定的であることは一つの契約の域にまで達しているのです。ですから僕は余計なことを考えず、ただネギらーめんのボタンに手を動かし、押して、すべて完璧に計算された僕/店/ネギらーめんという美しい関係性を満足させるべきなのです。

» そこで僕はもういちど指を動かし、今度こそはまちがいなくネギらーめんのボタンに指を走らせ、グッと押そうとしました。押せませんでした。なぜなら、先ほどまでは完全に思えたネギらーめんと僕の関係性の美しさは、角煮の持つ物質的な魅力、つまり肉慾に比べると圧倒的に負けているからです。そもそも、僕はここにらーめんを食べに来ているのでありその欲望を満たすことが何よりも大切で、関係性の美しさに見入られるのはお門違いではないでしょうか。時間軸における過去を考えると、お腹の空いた僕があり、そしてらーめんがあり、そしてそれを僕が食べることで始めて僕/らーめん間の関係性が成立するのです。よって、僕はこの場合自分の欲望に誠実になって食べたいほうのらーめんを選ぶべきなのです。それが全ての始まりです。

» が、だからと言って安易に、もう一度選ぶボタンを変えるほど僕は子供ではありません。ボタンを変えた途端に、僕はこう結論づけるでしょう。角煮らーめんを選ぶことはやはり間違っている、なぜなら、時間軸における未来を考えると、そこには既に満腹になっている僕がいて、その段階では僕は自分のお腹に収まったものが何らーめんであるかなど気にしないからだ、よって選択にかかわるファクターとしての僕/店/らーめんの関係性は無視できない、と。

» さあ、僕の進退はきわまりました。僕には無限に時間が与えられているわけではありません。僕の後ろには先ほどから、長いこと待たされて恐ろしい形相をした別の客たちが行列を作っています(もっとも、彼らは僕かららーめんを取り上げることを目的としているのであり、それは僕の食べ物を奪うことで、つまりは僕を飢え殺そうとしている恐るべき連中です。そんな彼らのために譲歩したあげく、選び間違えるなどということは決してあってはいけないのです)。僕にはまだこれ以外に残された選択肢が二つあります。一つはまったく違うメニューであるタンタン麺、あるいはチャーハンを選ぶことであり、もう一つはきびすを返して店を出、ハンバーガーとコーヒーを食べることです。ですが、これらは僕がこう考えているうちに通用しなくなったようです。ネギらーめんか、角煮らーめんか。その二つを考えるにあたって、そのどちらも選ばないというのはあまりに臆病な振るまいであって、今までこの選択に費した時間と努力を無にする考え方です。また、これだけ後ろに行列が出来ているなかで、僕が何も選ばず逃げ出したとなると、僕は袋叩きにあうでしょう。ですから、僕にはネギらーめんを食べるか、しからずんば角煮らーめんを食べるか、それしかありません。

» 二つの選択肢に僕はさいなまれます。しかし、突然に天啓がひらめきました。恩寵の復活。僕の悩みは一掃され、そもそもの問い自体が無意味になる完全な答えが見付かりました。僕は、ネギらーめんに別皿で角煮を頼めばいいのです。こんな簡単な答えになぜ今まで気づかなかったのでしょう。再び僕の世界は簡約化され、まったくわかりやすいように整理されました。あらゆるものが統一的に説明できるような気がします。僕は救われました。恐れることはありませんでした、たかがらーめんでした。全ては終わりました。意気揚々と僕は、ボタンに手をかけ、最後の勝利を我が物にすべく足に力をかけます。

» ですが、最後の指の一押しの瞬間に僕の頭に思い浮かんだのは、「ネギらーめんに角煮ではなく、角煮らーめんにネギをトッピングしてもらったほうがいいのではないだろうか」ということでした。僕の選択はまだまだ終わりそうにありません。

[]