# 132

» 歌手で作曲家の岡崎律子さんが亡くなったそうです。ご冥福をお祈りします。

» なるほど、これからは P2P が学ぶべきことの一つになりました。世の中で禁止されているものほど面白く、勉強になるものはありません。荒唐無稽でくだらないものはただ無視されるだけですが、禁止されるものは本当に世の中を変えることが出来てしまうからです。しかし、うーん、魔の山は読みましたが言うほどでもなかったような気がします。そういえば僕はあまり禁書を読んだことがありません。ということは上の主張はそんな気がするということです。

» それで、わっしわっしと本と円盤をたくさん注文しました。後で、どんなものを注文したのか、それはなぜなのかを詳細に記録しておかなくてはいけません。何故そんなことをするのかは自分でもよく分かりません。ですが、僕はやり遂げなくはいけません。それが誠実な態度というものです。この「誠実な態度」というのは最近お気に入りキーワードなのです。結局のところ、物事をすすめるのは誠実な態度しかないのでしょうか。なんであれ僕はやりたいことをやりますし、道徳的規範に外れそうなことをするとメタ論理が僕を打ち据えるようにできています。では、その外れる外れないの基準は何でしょうか。

» 僕は今日はとても暑かったと思っています。僕は暑いのはとても苦手ですが、この高気温のおかげでしょうか、夕方になって道を歩いているとたくさんの猫たちに会うことができました。いつもなら僕の顔を見た途端に逃げていく猫たちも、今日はどういう風の吹き回しか、人懐っこく寄ってきては短く鳴き、エサをねだります。こんなことは以前はありませんでした。当然ながらエサの持ち合わせなどありませんので、手を小さく振って架空のネコジャラシを作りなんとか気を惹こうと懸命になります。ですが、エサがないと分かると猫はそそくさと去っていきます。僕は悲しくなります。あともうすこしだけ猫と一緒に居たかったと思います。

» 僕はニボシか何かを常にポケットに忍ばせるべきだったのかもしれません。そうすれば、それがある分だけ彼らの気を惹くことができます。ですが、ニボシや何かを忍ばせるということは着物が魚臭くなり、今度は人間に去られてしまう結果を引き起こします。また、猫にエサを与えるという行為はその場では猫を飢えから救いますが、飼うわけではない以上、猫たちをいたずらに増やし、結局は保健所送りさせてしまいます。真に猫を思うのであれば、エサやりは控えるべきです……、が、ただ単に猫を可愛がりたいだけの人間にこの論理は意味がありません。僕は迷っています。論理を突き通す誠実さを大事にするか、感情に忠実になるか、です。論理を突き通すことは大事であり、僕の生き方のモデルですが、論理はいってみれば感情の海に浮かんだ孤島で、論理自体の正しさを論理的に証明することは出来ないという論理があります。かといって感情に忠実になることは獣道へ一直線に卒倒することですし、()。とにかく僕は一歩も動けなくなってしまうのです。

» [flash] 十一月

黒猫の出てくるお話です。

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