» 一晩たったら前回のログがすこし気持ちのわるいものに見えてきます。そもそも連休中に日記に張り付くのはとても恥ずかしいことです。そんなことをせずに、どこかしらで行われているイベントに行けばよかったのです。バッドノウハウのセミナは受付が間に合いませんでしたがSFセミナは行っておけば良かったです。合宿ではなくお昼だけの部があるとは知りませんでした。セミナのログを見るとイーガンの未訳が 91 作もあるそうです。やはりクローサーは訳さないといけません。
» こういうのにはいつも腰が重くなります。今の僕はどこにいても場違いな気がします。誰かに自分が偽物であることを見破られるような気がします。でも、僕は自分がどこにいても何をしてもそしらぬ顔で自信たっぷりなフリが出来ることを思い出すべきです。昔から演技は得意でしたし、この自信が見破られにくさにつながるのです。今はどちらかというと行動を起こすべき時です。
» 今日は掛け値なしにいい日でした。春の休日にふさわしい天気で雲が薄く散らばり日差しはとてもやわらかく外を照らしていました。風はさらりと通り抜けて木々を揺らし若葉を夏へ向けてますます緑に染めて行きます。ビルの間に見えるうろこ雲がうっすらとした夕方の褐色を受けてまもなくお日さまが沈むことを告げています。それを見ていると、僕はもう美しさに陶然とするやら郷愁を感じるやらで何故だか無性に誰かに謝りたくて仕方がなくなります。ですが僕には告白しようにも罪がありません。あるとしても取るに足らなかったり僕以外にはどうでもいいものなのです。その自覚がますます僕を悲しくさせるのです。昔は、こういう気分の時に僕はお酒を飲んでいました。ですが、もうお酒は飲めません。僕は理由もなくお酒を飲むのを禁止しているからです。そして今、銀の円盤のようなお月さまがやさしく冷たい光を僕に投げかけています。ベールのような薄い雲が流れてはいるものの光を放つ表面は完璧に見通すことができ暗いクレーター痕まではっきりと分かります。それで僕はますます悲しくなります。ご飯を食べてお茶を飲んでも気持ちは落ち着きません。ところが、夜の気持ちのいい風がさっと吹いたときに僕は感じました。僕は旅に出掛けなくては行けません。
» 東京にある品川駅でプリースト「奇術師」を買いました。旅行中に読みます。しかし、この本の解説がお話のネタばれを含んでいると非難されているようですが、巻末の解説なのですから別にいいのではないかと思います。とにかく作品のネタばれを恐れるならば根本的な解決策は作品を読むことしかありません。作品を読まずに解説、しかも巻頭ではなく作品の最後の次の項にあるものを読んでおいてネタばれだと怒るのはとても滑稽なことです。もっともこれは解説者を非難しているのではなくて単に読者が間違って読まないよう警告しているだけなのかもしれません。解説に作品を読んだ人だけが分かるネタを入れるのは自然なことです。
» 少し読んで気がつきましたが、この本のテーマ自体がネタばれに関するものなのですね。危なかったです。もしかしたら、僕は惑わされていたのかもしれません。
kakutaniさんが和訳して公開しています。旅先の更新なので url は打てません。適当に検索してください。なるほど、Java ソースファイルへのコンバータなのですね。拡張子が .groovy というのはすこし長いのではないでしょうか。