# 366

» 新年、明けましておめでとうございます!このメッセージを読んでくださっている方(もしも存在するのなら)、今年もヨロシクお願いいたします(もしもヨロシクする気持ちがあるのなら)。いやあ去年はひどい年でしたねえ。たくさんの災害や気の滅入る事件がありましたし、個人的にもあんまり上手く生きることができたとはいえませんでした。身体も壊しました。同時期にお医者さんに三件もかかっていたこともありましたよ。でも、それもみんな年が開けてしまえば過去のことです。もしも、明日や昨日の区切りがなくて、毎日毎年毎秒がその場その場に絶え間なく訪れる時間の連鎖であって、それらを区切ることができるのは姿意的な意識の流れでしかなくて、人は個人ごとにまったく違うスケールで物事にあたることしかできないのだとしたら、それは当人にとっては生き地獄でしょうね。なぜなら世間にたいして注意力を保つには限界がありますし、それらは観察すればするほど擦り切れてしまって、まったく新たな解釈を拒絶するようになるからです。もちろん知識と経験がありさえすればかなりの新たなものの見方、例えば、今までのものを否定する斬新なものだったり、あるいは全てを包含するようなメタなものを見いだすことはできまが、それも結局のところ順列組み合わせの一つに過ぎなくて、有限の範囲におさまってしまいます。しかも過去だけじゃなくて未来の区切りもないですから、どこまでも見渡せてしまうおかげで、無限の未来が常にのしかかってくるわけで、例え有限の順列組み合わせが莫大なものであろうともさすがのこれには太刀打ちできなくなってしまいます。そうなると、無限の明日には全てのものが灰色になってしまう日が存在するわけで、気の早い人にとっては数学的帰納法からまさにその日は今日、今その時間であると結論できてしまうわけです。そして一人の人が世界を灰色に見てしまうということは誰もがそうなる可能性があるということですから、つまるところ誰にとっても今これこそが地獄であるということなるのです。生あるものにとっては地獄とは未来におけるなにごとか、ではなくて、もしも一点でも地獄が存在するなら、それは地獄のなかに住んでいるということになるわけです。ちなみに地獄の中で生きるには二通りありまして、ひとつは自らのなかに地獄をとりこんでシステムの一部となって動くこと。もうひとつは、とても難しいですが、地獄のただなかにありながらなおも何が地獄で何がそうでないかを見極めながら生きることです。これには不断の努力が必要とされます。

» 時間に関しては、ですから普通はどこか皆がわけなく同意できるような、共通の休みどころを設定し、いったん一区切りとしてその間は過去の一部を整理して次の全く新しいと不確定な未来にそなえるわけで、こうすれば過去も未来も常にある一定の範囲にとどまりますし、ある程度有能な人にとっては簡単に処理できるようになるわけで、これはまさに観念の勝利、人間意思万歳ということになりますね。もしも、その考え方のモデルを受け入れるのなら。

» そう、わけあってこのモデルを受け入れられない人にはこの解決策は通じないわけで、だとすれば不幸なことに

  • このエントリは、こうさぎが早朝 5 時に書きました。
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